【マンガ】『彼方のアストラ』はその伏線回収で何を成し遂げたのか 〜「物語」の本分〜
こんにちは、いさおです。
ああっと先に言っておきます。
この記事は『彼方のアストラ』ネタバレ全開フルスロットル記事です。
本作を読まずor視聴せずにネタバレを食らうことは悲劇以外の何物でもありませんので、まだその物語を知らない方はぜひぜひ、以下リンクから買ってくださいね!
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さて、ここを読んでる皆さんは本作を読んだor視聴した方ですね?
よしOKです!お話を進めます。よろしくお願いします!
1.『彼方のアストラ』の魅力の核は「伏線回収の巧みさ」なのか
先日、本作のアニメ最終回が放映されていましたね。
終盤に入りアニメ勢の驚きの声がtwitter等で漏れ聞こえてきて、本作を体験する喜びを共有できる人が増えて嬉しいばかりです。
本作の大きな魅力はそう、巧妙な伏線配置と怒涛の伏線回収です。特に単行本にして4巻以降の展開には、言葉にならない衝撃を覚えた方も多かったのではないでしょうか。
まずは、アストラ乗組員が全員クローンであったということ。惑星マクパへのキャンプとワームホールによる追放は、親たちの手による一斉殺処分だったのです。
二つ目は、乗組員たちの故郷が地球ではなかったこと。「チキュウって何だ?」と言うカナタが、突然得体の知れない遠い存在に見えるあの見せ方は見事と言う他ありません。
三つ目は、ワームホールを発生させ、通信機を破壊した刺客の判明と、アリエスの出生の謎。ここまでのシャルスの表情・発言一つ一つに違った意味が生まれるこの展開は、読み返しを必須とさせるものです。
そんな伏線回収の巧みさが強調される本作ですが、伏線回収の巧みさが本作の魅力の核なのか、と言われると、私は首を縦に振りかねます。
確かに本作の伏線回収は本当に見事です。一方で、「伏線回収の巧みさ」をウリにしている作品は、本作と同じマンガ、アニメの世界に絞っても、数多く存在します。自分の好みに偏った例示をするなら、STEINS;GATE、魔法少女まどか☆マギカ、僕だけがいない街、バッカーノなどなど・・・ 皆さんもそれぞれたくさん思いつくことでしょう。
それら作品の魅力の核は、全て「伏線回収の巧みさ」なのでしょうか?それは違うと思います。上に挙げた作品だけでも作品の内容が違いすぎますし、ゆえにそれぞれ全く違った魅力を、核として持っているはずなのです。
ならば、『彼方のアストラ』の魅力の核とは何か。
これを考えるには、「そもそも『物語』とは何か」について少しだけ思いをはせる必要があります。
2.「物語」の本分とは何か
そもそも「物語」って、何だと思いますか?
一口に「物語」と言っても様々なものがありますので、これに対して固まった答えを出すことはできません。しかし一つ言えることは、物語は、それを必要としている人がいるからこそ受容され、ゆえに創作されるということです。
卑近な例を挙げると、「スクールカースト」という言葉が流行り、クラスに馴染めない子供が「馴染めない」ということの特異性を認知すると、クラスで浮いたキャラたちの活躍を描いた『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』、『僕は友達が少ない』といった作品を求めるようになる。
あるいは、「女性にとっての幸せとは結婚」という古臭い価値観が中途半端に残ったまま女性の社会進出が進むと、新旧の価値観のジレンマに苛まれる女性を描く『東京タラレバ娘』のような作品が、読者の心を掴んでいく。
あるいは、努力して変わることができず、この世界の苦しみから脱出することができない読者たちのために、今の自分のままで大活躍できるような世界に引っ越してしまう異世界転生ものが創作され、広く受容されていく。
今抱えている悩みに対する回答、あるいは悩み自体からの解放を、読者たちは物語に求めるのです。
逆に言えば、「物語」というものは程度に差はあれ、読者の悩みに対する回答、あるいは現実世界の苦しみからの救済を読者に提供するものであり、これこそが物語の「本分」と言えるものなのです。
「物語」の評価軸は多数存在しますが、この「本分」を確かに実践している物語、これを「優れた物語」と評価することは、「物語」の機能からして自然なことだと考えます。
3.『彼方のアストラ』の魅力の核は何か
『彼方のアストラ』に話を戻します。
本作は、訳もわからず宇宙に放り出された少年少女が、協力して故郷への帰路を切り拓き、成長していくジュブナイルストーリーです。親の庇護下の狭い世界で生きてきた少年少女たちが、広い世界を切り拓いて、自らの足で立ち上がっていくストーリーは、まさに広い世界に出ようとしている少年少女の読者たちの背中を確かに押すものであり、その機能こそ、本作が「物語」として果たそうとしている「本分」と言えるでしょう。
ここで注目したいのは、1で述べた本作の3つの伏線回収が、それ自体最高級の巧妙さを持つギミックであるだけでなく、「広い世界を切り拓き、立ち上がる読者の背中を押す」という本作の「本分」を、爆発的に増幅させる機能を果たしていることです。
一つ目のギミック、乗組員全員がクローンであったという事実は、彼らにとって存在の拠り所であった「親」という存在、いや、彼ら自身の存在意義すら奪います。彼らがこれまで生きていた世界の足場は崩れ、否応なく、自分がいるべき世界を自ら見つけて、自分の足で立ち上がることを強いられるのです。
二つ目のギミック、乗組員たちの故郷が地球ではなかったことは、そのまま隠蔽された100年の歴史につながっていきます。彼らが認識していた世界・歴史は、平和維持のためとはいえ、前世代の創作の産物でした。カナタたちは「親」という拠り所を失うばかりか、自らがいた世界自体が虚構であることを知るのです。それでも、彼らは立ち上がり、前を向くのです。自分たちを取り巻く広い世界の虚構性を暴き、自分たちで再定義していくことを選択するのです。
三つ目のギミックである刺客の正体は、シャルスの生き様という、本作の「本分」を象徴するようなドラマを導入します。「王のクローン」として生まれ、セイラという最愛の女性を失いもはや抜け殻となったシャルスは、このアストラ号での旅を通して、自分自身で得た仲間と、自分自身の判断で世界を生き抜くことを覚えていきます。
そう、全てのギミックが、「広い世界を切り拓き、自らの力で立ち上がる」という生き様を、鮮明に描き出しているのです。
私は他でもなくこここそに、『彼方のアストラ』という作品の魅力の本質があると考えています。
すなわち、物語の本分が、「読者の悩みに対する回答、あるいは現実世界の苦しみからの救済を読者に提供すること」であるならば、本作は、「広い世界を切り拓き、立ち上がる読者の背中を押す」という形でその物語としての本分を果たしています。その上で、その巧妙な伏線が、本作が物語としての本分をより深く果たせるように、機能しているです。
別の言い方をすれば、巧妙な伏線に走るあまり物語の軸がぶれることなく、最高級の伏線を、あくまで物語の本分を果たす「手段」として操縦しきったと言ってもいいでしょう。
巧妙な伏線を利用することで、「伏線が巧みな物語」という付加価値を得ただけでなく、その伏線によって、物語が果たすべき本分が大幅に強化されている。だからこそ、この作品は確かに「名作」となることができたのだと私は考えるのです。すなわち、より深く、読者の心に訴えかけることができたのだと考えるのです。
4.終わりに
以上、私的『彼方のアストラ』論評でした。
本作については、これまでも繰り返し上記のような話を断片的にツイートしていたのですが、アニメが終わり、多くの人が本作の内容を知ったこのタイミングで、自分の考えを整理してみようと考えた次第です。
皆さんは、本作の魅力はどこにあると考えますか?あまりネタバレの心配もなくなってきた今、いろんな人と語り合いたいなあと思っています。ギャグも面白いしキャラもめちゃくちゃ魅力的ですので、そんなところもお話したいなあなんて思っています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!!
(おわり)
輸出管理ってなに?ホワイト国とは?日本政府が韓国に対して行ったことのポイント
こんにちは、いさおです。
いつもこのブログはマンガの感想やら何やらを書いてるんですが、今回はちょっと(?)違う記事を書きます。
最近、日韓関係が非常に怪しいですね。元々慰安婦問題だとか徴用工問題だとか、きなくさかったところですが、以下の「ホワイト国外し」(2019年8月2日閣議決定)で関係悪化が決定的になった印象です。
ここで問いたいでのすが、そもそも「輸出規制」ってなんなんでしょう?「ホワイト国」ってなんなんでしょう?
ここを正確に認識しないまま、漠然と「日本は韓国に対する輸出を強化したんだ!」と考えていると、ここ最近の一連の日韓の動きを正確に評価することはできません。
そこで今回は、結局日本政府は今回韓国に対して何をしたのか、今後韓国への輸出は実際のところどれほど難しくなるのか、説明していきたいと思います。
仕事で関わってる分野ですので、内容は信頼してもらえればと!
1.輸出管理ってなに?
今回日本政府が改正した法律は、「輸出管理」、正しくは「安全保障輸出管理」という分野の法律です。
ですので、まずはこの「安全保障輸出管理」ってなに?という話をします。
安全保障輸出管理とは、「テロリストや戦争を起こしそうな国に、武器や武器の部品・原料になりそうなものが渡らないよう、輸出先を管理すること」を言います。
確かに、武器がなかったら、悪い人も悪いことしようがないですよね。世界の平和・全然保障のための強力な一手です。
これを実践するために、世界の各国(特に先進国)は「危ないものを危ない人に輸出しないようにしようね」という協定を結んでいます。具体的には以下のとおりです。
(WAは安倍首相がインタビューで言及してましたね)
NSG(原子力供給国グループ)・・・核兵器に使えそうなものが対象
MTCR(ミサイル技術管理レジーム)・・・ミサイルに使えそうなものが対象
AG(オーストラリア・グループ)・・・化学・生物兵器に使えそうなものが対象
WA(ワッセナー・アレンジメント)・・・その他武器に使えそうなものが対象
しかし、これらはあくまで紳士協定で、強制力がありません。そこで本協定参加国は、この紳士協定を自国民がちゃんと守るように、これらの協定内容を各国で法律にしています。そして、違反した国民にはしっかり罰則が飛ぶようになっています。
日本では、「外国為替及び外国貿易法」という法律の第48条第1項で、「危ない貨物を危ない人に輸出する時は、事前に経済産業大臣の許可を取ってね」と規定しているのです。
2.「危なそうな人に危なそうなものを輸出する」って具体的にどんな輸出?
日本は、国民が適切に経産省の許可を取って輸出を行うよう、許可が必要な「危ない輸出」がどんなものなのか、輸出規制の内容をしっかり詳しく定めています。
輸出規制は、以下2種類の規制からなります。
リスト規制 |
モノの規制。 武器に使えそうなスペックの高いものの輸出を規制 |
キャッチオール規制 |
輸出相手・用途の規制。 普段から軍事産業に関わっている人が相手だったり、そうでなくとも今回たまたま武器用途の輸出だった場合、輸出を規制。 |
この2種類の規制のうち、どっちか一方だけにでも当たったらアウトで、経産大臣の輸出許可が必要になります。
例えば、リスト規制では、ある特定の材質のポンプが規制されており(化学兵器の精製に使えるため)、そんなポンプを輸出する場合は、輸出先が誰であろうと、輸出許可が必要になります。
また、例えば輸出先が軍隊だったら、キャッチオール規制に該当し、たとえつまらないネジ1本を輸出するだけでも、輸出許可が必要になります。
3.「ホワイト国」向け輸出に対する優遇
ただし、「ホワイト国」と言われる(もう経産省はこの言い方をやめるそうですが)国に輸出する場合は、輸出規制が緩くなります。
「ホワイト国」とは、上記の各国間輸出協定に参加していて、自国の輸出管理がしっかりしている国のことです。こういう国は、「相手さんもしっかり輸出規制やってるし、少々日本のチェックが甘くても、変な人には渡らんやろう」と信頼できるので、こういう国に輸出する場合は、規制が緩くなるのです。
具体的な規制緩和内容は以下の2つです。
① キャッチオール規制の免除
② 幅広いリスト規制品について包括許可の取得が可能。
①は、輸出相手・用途の規制がなくなることを意味します。
②は少し難しいのですが、「包括許可」という制度が日本にはあります。
これは、何回も同じリスト規制品を輸出する場合、いちいち許可を取るのが手間なので、「いつからいつまでの期間だったら、もうこの品物は許可取らず何回でも出してもええよ」と一括で許可してしまう制度です。ホワイト国向け輸出でなくてもこの制度は使えるのですが、ホワイト国向けだと、さらに多くの種類のリスト規制品について、この「包括許可」を取得できます。
4.日本政府が韓国に対して行ったこととその影響
さて、この上で、日本政府が韓国に対して行ったことを見直してみましょう。
日本政府は、韓国を「ホワイト国」から除外しました。これは、政府曰く、「韓国から北朝鮮という危険国家にものが流れている」というのが理由だそうです。つまり、上記の「相手さんもしっかり輸出規制やってるやろ」という信頼が崩れた、というわけですね。(徴用工問題の報復、という見方もありますが、その正誤は正直わかりません)
上記の説明に基づいて考えると、このホワイト国除外により、韓国向け輸出規制内容は次のように変更されます。
① キャッチオール規制復活
② 包括許可の取得可能範囲が狭くなる
ただ、これ実質あんまり規制範囲は強化されてないんですよ。
①については、韓国はそんな危ない事業をやってる会社が多い国では決してありませんので、そもそもキャッチオール規制に引っかかる韓国向け輸出はほとんどありません。キャッチオール規制があってもなくても、正直経産省の許可が必要な韓国向け輸出の数に変わりはほとんどありません。
また、②については、包括許可が取れなくなるというだけで、輸出のたびに個別に許可を取ることは全然OKです。許可申請の手間が大きくなりますが、輸出自体は可能です。
よって、今回のホワイト国除外によって、「韓国向け輸出がしにくくなった」と理解するのは少し誤解です。
「今までめっちゃ輸出しやすかったのが、普通レベルになった」ぐらいの理解が適切なのです。
5.まとめ
以上、輸出管理の意義、規制の枠組みを解説した上で、今回の韓国向け輸出規制の改正の内容を説明しました。
「規制強化」というと少し語弊のある改正である、ということは上記でご理解いただけたかと思いますが、政治関係への影響の大きさについては、予断を許さないところではあります。
よって、まとめますと、
☆ 韓国のホワイト国除外は、「今までめっちゃ輸出しやすかったのが、普通レベルになった」だけ。
☆ 政治関係に対する影響は確かに深刻。ただし、規制内容の理解と、政治的影響の評価はあくまで分離して考えられるべき。
なんとか、日韓が仲良く手をとりあう未来はないものか、というのが個人的な思いです。あくまで個人的な。
以上、ご参考になりましたら幸いです。
お読みいただきありがとうございました!
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(終わり)
魔法ファンタジー作品における情報統制と、それが示唆する現代人の意識
こんにちは、いさおです。
めちゃくちゃ久々のブログです。
今回お盆休みのゆるゆる頭で考えたのは、タイトルの通り、「魔法ファンタジー作品における情報統制と、それが示唆する現代人の意識」です。おおげさですね。
魔法ファンタジーものは、数ある物語のジャンルの中でも王道の一つでしょう。ほうきで空を飛び、科学では実現しえないようなことを自由にやってのけ、時には魔法を使った派手なバトルも見せる。代表例が『ハリー・ポッター』です。
そんな魔法ファンタジーですが、最近の作品に目を移すと、少し違った傾向がみられます。魔法ファンタジーの魅力は前述のとおり、不思議な力で自由な冒険を見せてくれることです。しかし近年、そんな自由な力が逆に「規制」されている設定の魔法ファンタジーが現れ、人気を得ています。
本記事では、そんな作品を2つ挙げてその内容を検討した上で、なぜ、従来の「自由な」魔法ファンタジーに相反する設定の作品が人気を得ているのか、現代と言う時代の性質を考慮に入れつつ、議論していきたいと考えています。
※※※ 以下2作品のネタバレを含む記事です。※※※
・とんがり帽子のアトリエ
・圕の大魔術師
1.魔法が「規制」された魔法ファンタジー① 〜とんがり帽子のアトリエ〜
まず紹介したいのは、絵本のような美麗な絵で魅せる王道魔法ファンタジー、『とんがり帽子のアトリエ』です。
本作の世界では、人に作用する魔法などが「禁止魔法」とされており、一般人がそんな魔法に手を染めないよう、「魔法は魔法陣を描くことで発生する」という事実すら、魔法使いという限られた人種にしか開示されていません。そして、かつて禁止魔法で世界を混乱に陥れた魔法使いが「つばあり帽」をかぶっていたことから、現在の禁止魔法を使わないというルールを守っている魔法使いたちは、つばのない「とんがり帽」をかぶっています。
主人公のココは、ひょんなことから魔法のかけ方、さらには禁止魔法の存在を知ることとなってしまい、魔法使いを目指すことになります。
そこからココの修行が始まるのですが、禁止魔法の使い手「つばあり帽」の魔の手が、ココに迫ります。
つばあり帽は、禁じられた「禁止魔法」を再びこの世に広めるべく、知らずに禁止魔法を一度使ってしまったココを「希望の子」と称し、利用しようとするのです。
魔法使いとなったココと再び対峙したつばあり帽は、ココにこう話します。
そう、つばあり帽の目的は、世界の混乱や、人への危害ではありません。「魔法の無限の可能性」の復興なのです。
つばあり帽は、「人が害を被らないように、魔法を使える人間を限定し、かつ、魔法の種類を制限する」という、この世界の根幹たる統制システムに、鋭く疑問を投げるのです。
2.魔法が「規制」された魔法ファンタジー② 〜圕の大魔術師〜
もう一つ紹介したいのは、今注目されつつあるこれまた王道ファンタジー、『圕の大魔術師』です。
王道を濃縮還元して1000%にしたようなアツさ、まるで作中世界が実際に存在しているかのような設定の奥深さ、その他様々な魅力を兼ね備えた、今一番オススメしたいマンガの一つです。
この世界では、現存する全ての「本」が、中央の都「アフツァック」に集められています。そして、アフツァックの図書館にいる「司書」の管理のもと、特定の本が各地の図書館に配布される仕組みとなっています。本作は、主人公の少年が、その「司書」を目指す物語です。
この少年が司書を目指す中で明らかになっていくのは、この世界の成り立ちと、中央図書館による書物の管理が確立した経緯です。この世界はかつて複数の種族が争っていましたが、ある時点で共存の道を歩み始めます。その時、かつて種族間の争いの種となった「知識」、「情報」を統制するために、図書館が本の流通を管理しているのです。魔術の知識も、その管理対象に含まれています。
しかし、主人公が司書を目指している今、種族の共存が揺らぎつつあることが描かれていきます。今後主人公はその争いに直面することになりますが、彼がその争いの解決に貢献するためには、現在図書館によって情報統制されている、種族間の争いの経緯・歴史や、それに関係する魔術をまず知る必要があるでしょう。
図書館の司書を目指す彼は、いずれ、図書館という巨大な情報統制システムに挑戦する必要があるのです。
3.魔法ファンタジーにおける情報統制と、それに対する挑戦が持つ意義
(1)従来の「自由な」魔法ファンタジーと、情報統制との連続性
これら2作品では、上記のとおり魔法の規制がなされていますが、これは特異な設定ではなく、むしろ、従来の魔法ファンタジーと連続性を持つものです。
従来の魔法ファンタジーにおいて、魔法は基本的に自由な道具でした。
だからこそ、魔法を使って悪事を働く「悪者」が存在し、主人公たちは、同じく自由な魔法の力を使って、その悪者を懲らしめるのです。
わかりやすい例は、『ドラゴンクエスト』などから端を欲し、現在多数の作品が生まれている「異世界」設定です。邪悪で強大な魔法を使う魔王たる存在がいて、それを勇者その他仲間たちが、同じく魔法の力で討伐する世界観は、多くの人が慣れ親しんだものでしょう。
しかし、そうした「魔法をもって魔法を制する」対処は、いわば対症療法です。魔王的存在が現れるたびに勇者的存在を求めるのでは、キリがありません。
そこで必要になるのは、恒久的療法、つまり、魔王的存在が生まれる根源を断つことです。その最も効果的な手段が、情報統制です。魔王を魔王たらしめるのは、世界を揺るがすような強大で危険な魔術。であるならば、そうした危険な魔術の知識を人々から奪ったならば、魔王の種を根絶することができるのではないでしょうか。
すなわち、魔法の情報統制が行われる世界観は、「魔法をもって魔法を制する」従来の自由な魔法ファンタジーに反するどころか、自由な魔法ファンタジー世界が最終的にたどり着く帰結点と言えるのです。
(2)魔法の情報統制への挑戦が意味するもの
先に紹介した2作品では、魔王的存在への対抗策の終着点としての、情報統制が行われています。
しかしそれだけではありません。そんな情報統制に対して、『とんがり帽子のアトリエ』、『圕の大魔術師』はその意味を問い、対抗する姿勢を見せつつあります。情報統制は、魔法の可能性を摘むのではないか?やがて再び発生しうる争いに対処する手段を、隠してしまうのではないか?そうした意図から、情報統制に疑問を投げかけつつあるのです。
しかし、これはともすれば、時代の逆行ではないでしょうか?
魔王的存在の予防、平和維持の手段として確立したシステムを覆す。これは言うまでもなく魔王的存在の復活につながる可能性があり、その意味で、システムの転覆は避けるべきものです。
しかし、そんなリスクを知ってか知らずか、今多くの読者が、そんな情報統制システムの転覆を描く作品を支持しつつある。これはなぜでしょうか?
4.魔法の情報統制が示唆する、現代人の反抗
私は、多くの読者が示す、魔法の情報統制への挑戦に対する支持に、現代人の反抗、すなわち現代社会のシステムと、それを支える常識に対する疑問意識を見るのです。
例えば、SNSの発達により、マスメディアの権威は地に落ちつつあります。メディアの都合に沿わない事実の隠蔽等が、SNSなどを通して衆人の目にさらされ(もちろんSNSが嘘をついている場合も多々ありますが)、これまで常識だった「マスメディアから提供される情報は正しく、過不足もない」という前提は、もはや崩れています。
現代人は、これまで拠り所としてた情報、常識が必ずしも真ではないことを自覚し、自ら真実を求め、考える必要性を認識しつつあるのです。
また、インターネットの発達による流通情報量・種類が爆発的に拡大したことで、人はどんな情報にも容易にアクセスできるようになり、社会が情報をコントロールする(例:本屋が18禁雑誌を子供に売らないことで、子供をそうした情報からシャットアウトする)ことが難しくなりました。よって現代人は、自分・他人がアクセスしうる情報を、社会に頼らず自主的に、意識的にデザインする必要に迫られつつあります。
ここで現代人が考える必要があるのは、「きれいな情報だけを入手できるようにすることは、果たして善か?」という問題です。言い換えると、「きれいではない情報を提供することは、かえって教育上ポシティブな効果を持つ可能性がある」という問題です。
例えば、日本では戦争の歴史を重点的に教育しますが、これは何も戦争を奨励しているわけではありません。戦争の歴史を子供たちに伝え、「戦争は善か悪か」を、子供たちの頭で自ら判断してもらうための材料を与えている、と言えるのです。一定程度「きれいではない」情報を与えることは、いざ「きれいではない」状況に直面した時に、それを「きれいではない」と自ら判断できる能力を養うための、必要悪なのです。
インターネットという無限の情報アクセスツールを手にした今、私たちは人類史上初めて、どんな情報を流通させ、どんな情報を統制するか、単純に「きれいな情報か否か」で判断せず、自らの意思と考察を頼りに取捨選択する責任を担いつつあるのです。
こうした、常識の揺らぎと情報の主体的な取捨選択を迫られた現代人のマインドを背景に、上記の「魔法の情報統制システムの転覆」は、支持を集めつつあるのではないでしょうか。
魔法の情報統制システムは、確かに魔王的存在の予防手段として、有効に機能してきました。しかし、同じシステムが長く続くが故の歪み、人々が入手する情報や人々の持つ常識の偏りなど、様々な問題がやがて浮上します。そしてその有り様は、現代日本、そして日本人の状況・心象に、確かに重なります。
だからこそ、現代日本人は、伝統的な魔王討伐型物語、さらにはその延長線上にある、魔法が統制されたファンタジー世界から脱却し、統制システムの暴露と瓦解、そして、登場人物たちが自らの意思で魔法情報を取捨選択していく可能性を描く物語に、共感を覚えつつあるのではないでしょうか。
私たちは、普段考えている事柄を物語に当てはめ、そして物語から、普段考えている事柄を感じ、教訓を得ます。
故に、普段考えている事柄に類似した要素を見出せる物語を、私たちは求めているのです。
5.終わりに
以上、「情報統制」が行なわれている魔法ファンタジー世界が支持を集めつつあること、そしてその背景を検討してきました。「自由さ」が魅力だった魔法ファンタジーも、読み手の意識によって、その姿を変えうるのです。
今回は、「魔王討伐型(≒情報統制型)」⇄「アンチ情報統制型」というように、従来の作品と近年のトレンドの対置関係がはっきりしているが故に、「魔法ファンタジー」を題材に議論しました。しかし、この「世界のシステムを暴き、瓦解させ、行き先を私たちの意思に委ねる」という定式は、近年のヒット作品に頻繁に見られます(例:『進撃の巨人』)。魔法ファンタジーのジャンルに限らず、私たちが普段考えていること、意識していることは、創作されるものの内容、そしてトレンドに確かに影響を与えていると言えると思います。
そして、時代の趨勢に従って、今後も新たなタイプの作品が生まれていくのでしょう。
将来どのような素晴らしい作品が、どのような社会情勢のもとに生まれるのだろうか?そうして未来に想いを馳せると、懸念ばかりクローズアップされる時代の変化にも、少しはポジティブに向き合うことができるかもしれません。
以上、お読みいただきありがとうございました!
(終わり)