【マンガ】『彼方のアストラ』はその伏線回収で何を成し遂げたのか 〜「物語」の本分〜
こんにちは、いさおです。
ああっと先に言っておきます。
この記事は『彼方のアストラ』ネタバレ全開フルスロットル記事です。
本作を読まずor視聴せずにネタバレを食らうことは悲劇以外の何物でもありませんので、まだその物語を知らない方はぜひぜひ、以下リンクから買ってくださいね!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さて、ここを読んでる皆さんは本作を読んだor視聴した方ですね?
よしOKです!お話を進めます。よろしくお願いします!
1.『彼方のアストラ』の魅力の核は「伏線回収の巧みさ」なのか
先日、本作のアニメ最終回が放映されていましたね。
終盤に入りアニメ勢の驚きの声がtwitter等で漏れ聞こえてきて、本作を体験する喜びを共有できる人が増えて嬉しいばかりです。
本作の大きな魅力はそう、巧妙な伏線配置と怒涛の伏線回収です。特に単行本にして4巻以降の展開には、言葉にならない衝撃を覚えた方も多かったのではないでしょうか。
まずは、アストラ乗組員が全員クローンであったということ。惑星マクパへのキャンプとワームホールによる追放は、親たちの手による一斉殺処分だったのです。
二つ目は、乗組員たちの故郷が地球ではなかったこと。「チキュウって何だ?」と言うカナタが、突然得体の知れない遠い存在に見えるあの見せ方は見事と言う他ありません。
三つ目は、ワームホールを発生させ、通信機を破壊した刺客の判明と、アリエスの出生の謎。ここまでのシャルスの表情・発言一つ一つに違った意味が生まれるこの展開は、読み返しを必須とさせるものです。
そんな伏線回収の巧みさが強調される本作ですが、伏線回収の巧みさが本作の魅力の核なのか、と言われると、私は首を縦に振りかねます。
確かに本作の伏線回収は本当に見事です。一方で、「伏線回収の巧みさ」をウリにしている作品は、本作と同じマンガ、アニメの世界に絞っても、数多く存在します。自分の好みに偏った例示をするなら、STEINS;GATE、魔法少女まどか☆マギカ、僕だけがいない街、バッカーノなどなど・・・ 皆さんもそれぞれたくさん思いつくことでしょう。
それら作品の魅力の核は、全て「伏線回収の巧みさ」なのでしょうか?それは違うと思います。上に挙げた作品だけでも作品の内容が違いすぎますし、ゆえにそれぞれ全く違った魅力を、核として持っているはずなのです。
ならば、『彼方のアストラ』の魅力の核とは何か。
これを考えるには、「そもそも『物語』とは何か」について少しだけ思いをはせる必要があります。
2.「物語」の本分とは何か
そもそも「物語」って、何だと思いますか?
一口に「物語」と言っても様々なものがありますので、これに対して固まった答えを出すことはできません。しかし一つ言えることは、物語は、それを必要としている人がいるからこそ受容され、ゆえに創作されるということです。
卑近な例を挙げると、「スクールカースト」という言葉が流行り、クラスに馴染めない子供が「馴染めない」ということの特異性を認知すると、クラスで浮いたキャラたちの活躍を描いた『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』、『僕は友達が少ない』といった作品を求めるようになる。
あるいは、「女性にとっての幸せとは結婚」という古臭い価値観が中途半端に残ったまま女性の社会進出が進むと、新旧の価値観のジレンマに苛まれる女性を描く『東京タラレバ娘』のような作品が、読者の心を掴んでいく。
あるいは、努力して変わることができず、この世界の苦しみから脱出することができない読者たちのために、今の自分のままで大活躍できるような世界に引っ越してしまう異世界転生ものが創作され、広く受容されていく。
今抱えている悩みに対する回答、あるいは悩み自体からの解放を、読者たちは物語に求めるのです。
逆に言えば、「物語」というものは程度に差はあれ、読者の悩みに対する回答、あるいは現実世界の苦しみからの救済を読者に提供するものであり、これこそが物語の「本分」と言えるものなのです。
「物語」の評価軸は多数存在しますが、この「本分」を確かに実践している物語、これを「優れた物語」と評価することは、「物語」の機能からして自然なことだと考えます。
3.『彼方のアストラ』の魅力の核は何か
『彼方のアストラ』に話を戻します。
本作は、訳もわからず宇宙に放り出された少年少女が、協力して故郷への帰路を切り拓き、成長していくジュブナイルストーリーです。親の庇護下の狭い世界で生きてきた少年少女たちが、広い世界を切り拓いて、自らの足で立ち上がっていくストーリーは、まさに広い世界に出ようとしている少年少女の読者たちの背中を確かに押すものであり、その機能こそ、本作が「物語」として果たそうとしている「本分」と言えるでしょう。
ここで注目したいのは、1で述べた本作の3つの伏線回収が、それ自体最高級の巧妙さを持つギミックであるだけでなく、「広い世界を切り拓き、立ち上がる読者の背中を押す」という本作の「本分」を、爆発的に増幅させる機能を果たしていることです。
一つ目のギミック、乗組員全員がクローンであったという事実は、彼らにとって存在の拠り所であった「親」という存在、いや、彼ら自身の存在意義すら奪います。彼らがこれまで生きていた世界の足場は崩れ、否応なく、自分がいるべき世界を自ら見つけて、自分の足で立ち上がることを強いられるのです。
二つ目のギミック、乗組員たちの故郷が地球ではなかったことは、そのまま隠蔽された100年の歴史につながっていきます。彼らが認識していた世界・歴史は、平和維持のためとはいえ、前世代の創作の産物でした。カナタたちは「親」という拠り所を失うばかりか、自らがいた世界自体が虚構であることを知るのです。それでも、彼らは立ち上がり、前を向くのです。自分たちを取り巻く広い世界の虚構性を暴き、自分たちで再定義していくことを選択するのです。
三つ目のギミックである刺客の正体は、シャルスの生き様という、本作の「本分」を象徴するようなドラマを導入します。「王のクローン」として生まれ、セイラという最愛の女性を失いもはや抜け殻となったシャルスは、このアストラ号での旅を通して、自分自身で得た仲間と、自分自身の判断で世界を生き抜くことを覚えていきます。
そう、全てのギミックが、「広い世界を切り拓き、自らの力で立ち上がる」という生き様を、鮮明に描き出しているのです。
私は他でもなくこここそに、『彼方のアストラ』という作品の魅力の本質があると考えています。
すなわち、物語の本分が、「読者の悩みに対する回答、あるいは現実世界の苦しみからの救済を読者に提供すること」であるならば、本作は、「広い世界を切り拓き、立ち上がる読者の背中を押す」という形でその物語としての本分を果たしています。その上で、その巧妙な伏線が、本作が物語としての本分をより深く果たせるように、機能しているです。
別の言い方をすれば、巧妙な伏線に走るあまり物語の軸がぶれることなく、最高級の伏線を、あくまで物語の本分を果たす「手段」として操縦しきったと言ってもいいでしょう。
巧妙な伏線を利用することで、「伏線が巧みな物語」という付加価値を得ただけでなく、その伏線によって、物語が果たすべき本分が大幅に強化されている。だからこそ、この作品は確かに「名作」となることができたのだと私は考えるのです。すなわち、より深く、読者の心に訴えかけることができたのだと考えるのです。
4.終わりに
以上、私的『彼方のアストラ』論評でした。
本作については、これまでも繰り返し上記のような話を断片的にツイートしていたのですが、アニメが終わり、多くの人が本作の内容を知ったこのタイミングで、自分の考えを整理してみようと考えた次第です。
皆さんは、本作の魅力はどこにあると考えますか?あまりネタバレの心配もなくなってきた今、いろんな人と語り合いたいなあと思っています。ギャグも面白いしキャラもめちゃくちゃ魅力的ですので、そんなところもお話したいなあなんて思っています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!!
(おわり)