アタシポンコツサラリーマン

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魔法ファンタジー作品における情報統制と、それが示唆する現代人の意識

こんにちは、いさおです。

 

めちゃくちゃ久々のブログです。

 

 

今回お盆休みのゆるゆる頭で考えたのは、タイトルの通り、「魔法ファンタジー作品における情報統制と、それが示唆する現代人の意識」です。おおげさですね。

 

魔法ファンタジーものは、数ある物語のジャンルの中でも王道の一つでしょう。ほうきで空を飛び、科学では実現しえないようなことを自由にやってのけ、時には魔法を使った派手なバトルも見せる。代表例がハリー・ポッターです。

 

そんな魔法ファンタジーですが、最近の作品に目を移すと、少し違った傾向がみられます。魔法ファンタジーの魅力は前述のとおり、不思議な力で自由な冒険を見せてくれることです。しかし近年、そんな自由な力が逆に「規制」されている設定の魔法ファンタジーが現れ、人気を得ています。

本記事では、そんな作品を2つ挙げてその内容を検討した上で、なぜ、従来の「自由な」魔法ファンタジーに相反する設定の作品が人気を得ているのか、現代と言う時代の性質を考慮に入れつつ、議論していきたいと考えています。

 

 

 

※※※ 以下2作品のネタバレを含む記事です。※※※

・とんがり帽子のアトリエ

・圕の大魔術師

 

 

 

1.魔法が「規制」された魔法ファンタジー① 〜とんがり帽子のアトリエ〜

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まず紹介したいのは、絵本のような美麗な絵で魅せる王道魔法ファンタジー『とんがり帽子のアトリエ』です。

 

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本作の世界では、人に作用する魔法などが「禁止魔法」とされており、一般人がそんな魔法に手を染めないよう、「魔法は魔法陣を描くことで発生する」という事実すら、魔法使いという限られた人種にしか開示されていません。そして、かつて禁止魔法で世界を混乱に陥れた魔法使いが「つばあり帽」をかぶっていたことから、現在の禁止魔法を使わないというルールを守っている魔法使いたちは、つばのない「とんがり帽」をかぶっています。

 

主人公のココは、ひょんなことから魔法のかけ方、さらには禁止魔法の存在を知ることとなってしまい、魔法使いを目指すことになります。

そこからココの修行が始まるのですが、禁止魔法の使い手「つばあり帽」の魔の手が、ココに迫ります。

つばあり帽は、禁じられた「禁止魔法」を再びこの世に広めるべく、知らずに禁止魔法を一度使ってしまったココを「希望の子」と称し、利用しようとするのです。

魔法使いとなったココと再び対峙したつばあり帽は、ココにこう話します。

 

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そう、つばあり帽の目的は、世界の混乱や、人への危害ではありません。「魔法の無限の可能性」の復興なのです。

つばあり帽は、「人が害を被らないように、魔法を使える人間を限定し、かつ、魔法の種類を制限する」という、この世界の根幹たる統制システムに、鋭く疑問を投げるのです。

 

 

2.魔法が「規制」された魔法ファンタジー② 〜圕の大魔術師〜

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もう一つ紹介したいのは、今注目されつつあるこれまた王道ファンタジー『圕の大魔術師』です。

王道を濃縮還元して1000%にしたようなアツさ、まるで作中世界が実際に存在しているかのような設定の奥深さ、その他様々な魅力を兼ね備えた、今一番オススメしたいマンガの一つです。

 

www.moae.jp

 

この世界では、現存する全ての「本」が、中央の都「アフツァック」に集められています。そして、アフツァックの図書館にいる「司書」の管理のもと、特定の本が各地の図書館に配布される仕組みとなっています。本作は、主人公の少年が、その「司書」を目指す物語です。

この少年が司書を目指す中で明らかになっていくのは、この世界の成り立ちと、中央図書館による書物の管理が確立した経緯です。この世界はかつて複数の種族が争っていましたが、ある時点で共存の道を歩み始めます。その時、かつて種族間の争いの種となった「知識」、「情報」を統制するために、図書館が本の流通を管理しているのです。魔術の知識も、その管理対象に含まれています。

 

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しかし、主人公が司書を目指している今、種族の共存が揺らぎつつあることが描かれていきます。今後主人公はその争いに直面することになりますが、彼がその争いの解決に貢献するためには、現在図書館によって情報統制されている、種族間の争いの経緯・歴史や、それに関係する魔術をまず知る必要があるでしょう。

図書館の司書を目指す彼は、いずれ、図書館という巨大な情報統制システムに挑戦する必要があるのです。

 

3.魔法ファンタジーにおける情報統制と、それに対する挑戦が持つ意義

(1)従来の「自由な」魔法ファンタジーと、情報統制との連続性

これら2作品では、上記のとおり魔法の規制がなされていますが、これは特異な設定ではなく、むしろ、従来の魔法ファンタジーと連続性を持つものです。

 

従来の魔法ファンタジーにおいて、魔法は基本的に自由な道具でした。

だからこそ、魔法を使って悪事を働く「悪者」が存在し、主人公たちは、同じく自由な魔法の力を使って、その悪者を懲らしめるのです。

わかりやすい例は、ドラゴンクエストなどから端を欲し、現在多数の作品が生まれている「異世界」設定です。邪悪で強大な魔法を使う魔王たる存在がいて、それを勇者その他仲間たちが、同じく魔法の力で討伐する世界観は、多くの人が慣れ親しんだものでしょう。

 

しかし、そうした「魔法をもって魔法を制する」対処は、いわば対症療法です。魔王的存在が現れるたびに勇者的存在を求めるのでは、キリがありません。

そこで必要になるのは、恒久的療法、つまり、魔王的存在が生まれる根源を断つことです。その最も効果的な手段が、情報統制です。魔王を魔王たらしめるのは、世界を揺るがすような強大で危険な魔術。であるならば、そうした危険な魔術の知識を人々から奪ったならば、魔王の種を根絶することができるのではないでしょうか。

すなわち、魔法の情報統制が行われる世界観は、「魔法をもって魔法を制する」従来の自由な魔法ファンタジーに反するどころか、自由な魔法ファンタジー世界が最終的にたどり着く帰結点と言えるのです。

 

(2)魔法の情報統制への挑戦が意味するもの

先に紹介した2作品では、魔王的存在への対抗策の終着点としての、情報統制が行われています。

しかしそれだけではありません。そんな情報統制に対して、『とんがり帽子のアトリエ』、『圕の大魔術師』はその意味を問い、対抗する姿勢を見せつつあります。情報統制は、魔法の可能性を摘むのではないか?やがて再び発生しうる争いに対処する手段を、隠してしまうのではないか?そうした意図から、情報統制に疑問を投げかけつつあるのです。

 

しかし、これはともすれば、時代の逆行ではないでしょうか?

魔王的存在の予防、平和維持の手段として確立したシステムを覆す。これは言うまでもなく魔王的存在の復活につながる可能性があり、その意味で、システムの転覆は避けるべきものです。

しかし、そんなリスクを知ってか知らずか、今多くの読者が、そんな情報統制システムの転覆を描く作品を支持しつつある。これはなぜでしょうか?

 

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『とんがり帽子のアトリエ』扉絵。「つばあり帽子」をかぶったほうのココの衣装がいわゆる「魔法使い」のそれであり、皮肉が効いている(と私が勝手に思っている)。

 

4.魔法の情報統制が示唆する、現代人の反抗

私は、多くの読者が示す、魔法の情報統制への挑戦に対する支持に、現代人の反抗、すなわち現代社会のシステムと、それを支える常識に対する疑問意識を見るのです。

 

例えば、SNSの発達により、マスメディアの権威は地に落ちつつあります。メディアの都合に沿わない事実の隠蔽等が、SNSなどを通して衆人の目にさらされ(もちろんSNSが嘘をついている場合も多々ありますが)、これまで常識だった「マスメディアから提供される情報は正しく、過不足もない」という前提は、もはや崩れています。

現代人は、これまで拠り所としてた情報、常識が必ずしも真ではないことを自覚し、自ら真実を求め、考える必要性を認識しつつあるのです。

 

また、インターネットの発達による流通情報量・種類が爆発的に拡大したことで、人はどんな情報にも容易にアクセスできるようになり、社会が情報をコントロールする(例:本屋が18禁雑誌を子供に売らないことで、子供をそうした情報からシャットアウトする)ことが難しくなりました。よって現代人は、自分・他人がアクセスしうる情報を、社会に頼らず自主的に、意識的にデザインする必要に迫られつつあります。

ここで現代人が考える必要があるのは、「きれいな情報だけを入手できるようにすることは、果たして善か?」という問題です。言い換えると、「きれいではない情報を提供することは、かえって教育上ポシティブな効果を持つ可能性がある」という問題です。

例えば、日本では戦争の歴史を重点的に教育しますが、これは何も戦争を奨励しているわけではありません。戦争の歴史を子供たちに伝え、「戦争は善か悪か」を、子供たちの頭で自ら判断してもらうための材料を与えている、と言えるのです。一定程度「きれいではない」情報を与えることは、いざ「きれいではない」状況に直面した時に、それを「きれいではない」と自ら判断できる能力を養うための、必要悪なのです。

インターネットという無限の情報アクセスツールを手にした今、私たちは人類史上初めて、どんな情報を流通させ、どんな情報を統制するか、単純に「きれいな情報か否か」で判断せず、自らの意思と考察を頼りに取捨選択する責任を担いつつあるのです。

 

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「つばあり帽」に対するココの返答

  

こうした、常識の揺らぎと情報の主体的な取捨選択を迫られた現代人のマインドを背景に、上記の「魔法の情報統制システムの転覆」は、支持を集めつつあるのではないでしょうか。

魔法の情報統制システムは、確かに魔王的存在の予防手段として、有効に機能してきました。しかし、同じシステムが長く続くが故の歪み、人々が入手する情報や人々の持つ常識の偏りなど、様々な問題がやがて浮上します。そしてその有り様は、現代日本、そして日本人の状況・心象に、確かに重なります。

だからこそ、現代日本人は、伝統的な魔王討伐型物語、さらにはその延長線上にある、魔法が統制されたファンタジー世界から脱却し、統制システムの暴露と瓦解、そして、登場人物たちが自らの意思で魔法情報を取捨選択していく可能性を描く物語に、共感を覚えつつあるのではないでしょうか。

 

私たちは、普段考えている事柄を物語に当てはめ、そして物語から、普段考えている事柄を感じ、教訓を得ます。

故に、普段考えている事柄に類似した要素を見出せる物語を、私たちは求めているのです。

 

5.終わりに

以上、「情報統制」が行なわれている魔法ファンタジー世界が支持を集めつつあること、そしてその背景を検討してきました。「自由さ」が魅力だった魔法ファンタジーも、読み手の意識によって、その姿を変えうるのです。

 

今回は、「魔王討伐型(≒情報統制型)」⇄「アンチ情報統制型」というように、従来の作品と近年のトレンドの対置関係がはっきりしているが故に、「魔法ファンタジー」を題材に議論しました。しかし、この「世界のシステムを暴き、瓦解させ、行き先を私たちの意思に委ねる」という定式は、近年のヒット作品に頻繁に見られます(例:進撃の巨人)。魔法ファンタジーのジャンルに限らず、私たちが普段考えていること、意識していることは、創作されるものの内容、そしてトレンドに確かに影響を与えていると言えると思います。

そして、時代の趨勢に従って、今後も新たなタイプの作品が生まれていくのでしょう。

 

将来どのような素晴らしい作品が、どのような社会情勢のもとに生まれるのだろうか?そうして未来に想いを馳せると、懸念ばかりクローズアップされる時代の変化にも、少しはポジティブに向き合うことができるかもしれません。

 

以上、お読みいただきありがとうございました!

 

(終わり)