アタシポンコツサラリーマン

ポンコツサラリーマンが、マンガ・アニメについてつらつらと書きます。不定期更新ですが、気が向きましたらぜひぜひお立ち寄りを。

【マンガ/アニメ】聲の形 〜なぜ「生きるのを手伝ってほしい」なのか〜

こんにちは、いさおです。

 

さっき(2018年9月2日16:30まで)NHKで「聲の形」の映画を見てました。

 

f:id:issa_freely:20180902171809j:plain

 

最高でした!!!!!

 

いや原作を読んで、さらに映画も2週目でしたが、まだフルで感動できます。

毎回違った発見があるし、本当に素晴らしい。

 

何より、本作の全てが詰まった、このシーン。

 

f:id:issa_freely:20180902170717j:plain

 

主人公である石田くんが、小学生の時いじめていた耳の不自由な女の子、西宮さんに伝えた、渾身の一言。

このシーンに、石田くんの出した答えが凝縮されているのです。

 

でも、不思議ですよね。

これが恋愛作品なら、「愛してます」でもいい。

耳の不自由な方の生き方をテーマの作品であるなら、それに関わるセリフでもいい。

 

しかしそこが、「生きるのを手伝ってほしい」のです。

 

「生きる」なんて、それこそこの世に存在している時点で私たち全員ができている、ひどく当たり前なことです。それを「手伝ってほしい」とはどういうことか?

 

石田くん、西宮さんの抱える困難な問題を紐解き、その上で石田くんがなぜ「生きるのを手伝ってほしい」という言葉に至ったのか、考えていきたいと思います。

 

1.  石田くんと西宮さんの抱える問題

これを考えるのに大きなヒントになるのが、最後まで西宮さんとソリが合わなかった、植野さんです。

 

f:id:issa_freely:20180902171948p:plain

 

かわいいですね。

 

植野さんの考え方を一番理解できるのは、西宮さんとの観覧車での会話内容でしょう。

f:id:issa_freely:20180902172201p:plain

 

 

植野さんも小学生の頃石田くん同様西宮さんにきつくあたっていましたが、このあたりを読むと、小学生の頃の石田くんと違って、植野さんには西宮さんへの対応の背景に一定の哲学があったことが伺えます。

すなわち、なんでもズケズケ言うタイプの植野さんにとって、西宮さんは、耳が不自由だから付き合いにくいのではなく、他人からどれだけきつく当たられてもヘラヘラ謝り、しかも自分から何の意思も示してこない点に、強い違和感を感じていたのです。

 

植野さんのズケズケぶりも少し行き過ぎ感がありますが、ひとまずここに西宮さんの抱える問題の本質を見ることができます。

彼女は、ただただ自らの存在・意思を蔑ろにし、外からのメッセージに流されるだけだったのです。

 

次に石田くん。

石田くんの抱える問題は、周りの人間の顔に貼られている❌マークが全てでしょう。

高校生になった彼は基本的にいい人です。西宮さんにおそるおそる近づいていく様や、長束くんとの付き合い方には、他人への配慮にあふれています。

しかし、それはあくまで、「自分」がかつて被害を加えてしまった相手であり、「自分」を積極的に受け入れてくれる相手であるからに過ぎません。「自分」というワードが、彼の行動の基礎にあります。

つまり、基本的に彼は「他人」本位の行動をしません。「他人」についての情報は基本的にシャットアウトしており、それゆえの❌マークです。

 

以上より、石田くん、西宮さんはともに、「他人との関わり方」に大きな問題を抱えていたことがわかります。

本来他人との関わりは双方向に行われるものです。しかし石田くんは、「自分⇨他人」という方向の関わり方しかできない。西宮さんは、「他人⇨自分」という方向の関わり方しかできない。

石田くんと西宮さんは、互いに反対の意味で偏りのある、人との関わり方をしていたことが読み取れます。

 

2. 二人の問題の原因

上記のように、二人は正反対の問題を抱えているのですが、その根は同じです。

 

そう、小学生の頃、石田くんが西宮さんをいじめていたことです。

 

西宮さんは石田くんその他多数の同級生にいじめられる環境を生き抜く術として、石田んくんらの意に添う、つまりいじめをひたすら甘受することを選択します。反抗するなど、自らの本来の意思を示すことを放棄するのです。

しかも西宮さんは言葉を発することができません。このハンディキャップが、上記の選択に拍車をかけてゆきます。

 

次に石田くん。西宮さんの転校後、石田くんは西宮さんいじめの罪を全てかぶることとなり、逆に他の同級生のいじめ、無視の対象となります。これを克服しようにも、自業自得ながら、「かつて耳の不自由な女の子をいじめ、転校させた」という自らの過去が、石田くんの足を引っ張っていきます(その具体的な事例が、遊園地に遊びに行った後、一度西宮さん以外の全ての友人と衝突してしまったシーンです)。

そんな困難な状況で、彼は、どうしたって自分を前科者として眺めてくる他人をシャットアウトする生き方に至ったと考えることができます。

 

f:id:issa_freely:20180902181318p:plain

 

 

3.  二人の問題は、どう解決できるのか

ここまで考えると、本作のエンドはもはや必然だったのでないか、と考えることができます。

 

まず、二人の抱える問題の性質。他人の存在を認めることができない石田くん。自分の存在を認めることができない西宮さん。この二人が互いの足りない部分を補い合うことで、二人は初めて一人の社会的人間として、一歩踏み出すことができるのではないでしょうか。

 

次に、二人の抱える問題の原因。西宮さんの抱える問題の根は、石田くんにある。石田くんの抱える問題の根も、ある意味西宮さんにある。ならば、西宮さんの抱える問題は、石田くんに自らの意思を示すことで、石田くんの抱える問題は、西宮さんと向き合い直すことでこそ、解決できるのではないでしょうか。

 

そう、始まりは歪みにあふれたものではあったものの、石田くんには西宮さんが、西宮さんには石田くんが、必要不可欠な存在になっていたのです

 

そして、二人が問題を抱えていた「人と関わる」ということは、「生きる」ということに必須の条件です。人との関わりに問題を抱えていたからこそ、石田くんも、西宮さんも自殺を考えた、ということは、そのことを逆に証明しています。

 

だからこそ石田くんは、他でもなく西宮さんに、心から、「生きるのを手伝ってほしい」とこぼしたのではないでしょうか。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

以上、本作の名台詞をぐるぐると考えてみました。

 

恋愛、体が不自由であること、様々な要素を含んでいる本作ですが、本作のテーマは、恋愛、体が不自由であることその他様々な要素を含む、もっと広い、抽象的なものです。

すなわち、「人との関わり方」です。

 

「人との関わり」という一見簡単に見えるものの困難さを残酷なまでに明らかにした上で、その克服への希望を提示する。そこに、普段人との関わりに難しさを感じている全ての人への赦しを、私は感じるのです。

本当に、大好きな作品です。

 

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

 

(おわり)